文京区湯島にある学問の神様「湯島天神(湯島天満宮)」の梅まつりライトアップに行って来ました。 雪の降る中で余り人がいませんでしたので、ゆっくり梅を眺めることが出来ました。まだ咲いていない木も多かったです。

・梅まつり期間:2011年2月8日から3月8日まで

梅まつり
梅祭り
(暗い中でiPhone3GSの写真は最悪です...)

春日通り側の鳥居です。江戸時代はこちらは裏側だったようです。
湯島天満宮

男坂(暗くて見えませんが・・・)、江戸時代はこちらがメインの入口で参道が栄えていたと聞いたことがあります。
男坂


趣のある総檜造りの本殿です。
湯島天神 本殿

【湯島天神の縁起】湯島天神ホームページより

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

例祭日 五月二十五日

社 名 湯島天満宮 名称

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

帰りにお茶の水方面に向かっていると、急勾配の坂を発見しました。昇り降りしてみましたが、かなりの勾配です。「実盛坂」だそうです。
実盛坂
(これもまた、暗い写真です...)

この坂にあった看板によると、

「江戸志」によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とあるそうです。また、この下の南側に、「実盛塚」や「首洗いの井戸」がこの坂の下にあったという伝説めいた話が「江戸妙子」などにあり、坂の名前になったそうです。
斎藤別当実盛は加賀で戦死しており、実盛を忍び、この様な伝説が生まれたのではないかと書かれていました。