待乳山聖天から今戸神社(縁結びの神様「今戸神社」に行って来ました。)に向かう途中に川が無いのに橋だけが残る場所があります。その橋は「今戸橋」、川を埋め立てて作った細長い公園「山谷掘公園」(台東区東浅草、浅草)の隅田川側の起点です。昭和50年から昭和53年にかけて埋め立てられたようです。

多くの木々が植えられた緑の多い公園です。桜が多いので春には混み合うのではないでしょうか。
今戸橋
山谷掘公園山谷掘公園

山谷堀は隅田川から都下水道局ポンプ場までの約700mで、飛鳥山の北側、王子権現の下を通じる音無川(北区)を水源としていたようです。江戸時代、遊郭吉原への通路の一つであり、吉原に行くことを"山谷通い"とも言ったそうです。猪牙舟で山谷堀が賑わっていたようで、それが粋だったようです。

2つ目の橋「聖天橋」があります。近くにある待乳山聖天から名前をとったものと思われます。
聖天橋


朝倉文夫氏の「あこがれ」像です。平成5年10月1日に宣言された「台東区健康都市宣言」を記念して、台東区の健康施策の象徴として建てられたそうです。戦後の新しい日本の女性像で、健康的で清潔な美を象徴しているそうです。
「あこがれ」像 


ほぼ中間地点にある「山谷掘橋」です。この様な親柱の橋が多いようでした。
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親柱に山谷掘橋来歴が埋め込まれています。
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本橋ハ帝都復興事業トシテ新設シタルモノナリ
一、起工 昭和四年五月
一、竣功 昭和四年九月
一、公費 壹萬九千四百圓 19,400円

関東大震災後の帝都復興事業として新設された橋だと分ります。


正岡子規の『牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな』という句碑がありました。句碑はもうひとつあるようです。
正岡子規 句碑 牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな

「紙洗橋」の来歴。紙洗いとあることから、この近辺では紙の生産が行われていたのかもしれません。
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この辺りは護岸のなごりかもしれません。
護岸?

山谷掘り公園の終点にある「地方橋」です。都下水道局ポンプ場が近くにあります。
地方橋
地方橋 来歴

地方橋から千石通り商店街を通り抜ければ、浅草観光の中心地に向かいます。
全ての橋を紹介しきれませんでしたが、全部で8つの橋があったと思います。正に究極の落ちない橋達でした。

今戸橋 - 聖天橋 - 吉野橋 - 正法寺橋 - 山谷堀橋 - 紙洗橋 - 地方新橋 - 地方橋



「山谷掘公園」地図

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