2月28日、遠野市のあえりあ遠野で開催された井沢元彦氏講演会「遠野物語に見る日本と日本人」に行ってきました。井沢元彦氏と言えば、「逆説の日本史」で有名な作家です。

逆説の日本史17 江戸成熟編 アイヌ民族と幕府崩壊の謎
逆説の日本史17 江戸成熟編 アイヌ民族と幕府崩壊の謎


岩手銀行遠野支店の遠野いわぎん会が主催で、会場はいわぎん会の人がほとんどだったようで、ちょっと場違いな感じでした...。
井沢氏は1954年2月1日名古屋市生まれだそうですが、年齢よりもずっと若く見えました。作家の人は若い人が多い様に思います。早稲田大学法学部卒業ということなので、歴史を専門に勉強された訳ではないようですが、専門的になる程見えないことがあると語っていました。
日本史を見る場合には他国と比較したり、民俗学的に捉えたりすることで見えることが多いが、日本史の専門家は日本史ばかりを研究しているために見えなくなってしまうという見解をお持ちのようです。遠野物語は柳田国男が民俗を残した貴重な著であると語っていました。
また、歴史学者は「文献がないと証拠がない」とするが、文献に残す場合には日常のことは残さず、異常なことを残すものであり、文献だけで歴史を見ると見えなくなることが多いとのことでした。

以下、要点をまとめてみました。
(注)推察もあるようですし、私の記憶も曖昧な点もあります。

・卑弥呼は名前なのか?
江戸時代までの日本では本名である諱(いみな、忌み名)で呼び合うことはなく、通称として普段呼び合う際に使う字(あざな)でお互いを呼び合うのが普通であった。特に女性は本名を教えることは無かった。民俗学的に歴史を見ればわかることである。
卑弥呼は通称の呼び名であり、さらに中国が侮辱的に「卑弥呼」という字をあてた。本当は太陽の神の子として「日巫女」だったのではないか。

(諱と字のエピソード)
西郷隆盛の字(あざな)は吉之助であり、本名を申請する際に本人が不在で本名を誰も知らなかったため間違って「隆盛」で登録してしまった。本名は「隆永」。
(後で調べましたが「隆盛」は父親の名前で、西郷の友人が父親の名前を間違って知らせたという説が多いようです)

・日本に馬車は走っていたか?
平安時代には牛車は一時的に使われていたが、江戸時代までの日本では馬車は使われていない。他国では早く移動できる馬車を古くから使っている。
この事実は他国と比較することで初めて気付くことである。
日本で馬車を使わなかった理由としては江戸幕府が無理な発展を抑制していたためである。江戸300年の間に大きな軍事力(武器の開発など)を強化発展させる政策はなされていない。
(戦国時代の争いから、平和主義的な発想があったのではないか。平和な江戸が終わり、明治から昭和初期にかけて軍事力を強化した。しかし大戦後、今度は戦争放棄の憲法を作った。極端から極端に動いている。)

・日本、中国、韓国の舗装率
日本、中国、韓国の中で一番舗装率が低いのは日本(05年当時の統計)。他国では昔から馬車を使い石畳などで舗装したが、日本には馬車がなかったことが原因。
(『世界の道路統計 2005』によると舗装率は日本79%、中国81%、韓国86.8%でした)

・将軍の前でも刀を差す大名
日本の独特な点として刀(脇差)を差したままでも将軍に面会できる点があげられる。外様大名であっても同様である。これも他の国ではないこと。
特別な場所では刀を抜かないという信頼関係から脇差を差したまま将軍にも面会が出来た。

まとめ
他国の歴史を知ることで、日本史を知ることが出来る。他と比べて物事を見る事が大切。(例、日本語を知るには多国語を知ることが必要だ。日本語には「てにはを」があることは他国語と比較して初めて分かることだ)