梅原猛著「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」 (集英社文庫)、著者が東北を旅しながら、原日本人と原日本文化を探し求めます。

梅原猛氏が東日本大震災復興構想会議の特別顧問だと知り、再度読み直してみました。
日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る


この本は昭和58年に宮城県、岩手県、青森県、秋田県の紀行が刊行され、昭和60年に「会津魂の深層」が加えられました。平成6年に文庫化された際に、「山形紀行」(昭和60年、山形新聞に掲載)が加えられています。文庫版刊行により、東北6県全てが揃ったことになります。


著者は仙台に生まれました。幼い時に母親を亡くしたことから、仙台に生まれたことを知らずに愛知県で育ちます。青春期に真実を知り、悩みながら過ごしたと打ち明けています。

このことが、東北の探究につながっているのだと思います。東北に残る土着の文化や宗教について、土地に残る史跡や祭り、賢治や啄木、太宰を通じて鋭く洞察して行きます。



著者はアイヌ文化に縄文文化の秘密を求めます。それはアイヌが最近まで狩猟採集生活を続けていたことから、「縄文の遺民」であるとの仮説を持っていたからです。
著者はアイヌと蝦夷(えぞ、えみし)は同一であるという立場をとっています。

弥生時代までは蝦夷が全国にいたという考えであり、いわば蝦夷が原日本人であるということになります。蝦夷が縄文人であり、稲作農業文明を持った倭人による征服により、北海道の一角に追いやられてアイヌになったというのが著者の考えでした。


アイヌ=蝦夷と東北の蝦夷(えみし)は同一でないというのが通説だと思ってきましたので、最初違和感を覚えました。しかし、読み進めるうちにアイヌの風習などが東北に深い結びつきがあることがよく分かります。



また、東北に優れた詩人が多いことについて下記のように指摘しています。

"東北人の強い自負は、いままでは理由がないように思われた。しかし考古学の発展は、東北人の自負もまた、関西人の自負と同じように歴史的背景をもっていることを明らかにした。ちょうど関西に弥生文化の花が咲くころから千年ほど前、ここに縄文文化の花が咲いていたのである。ここはまさに千年のあいだ、日本の文化の中心地であったのである。無意識のうちに東北人はそのような自負を、歴史から受け継いでいたのである。しかし、そのような自負は他所の人間にはまったく理解されない。そして、そのような自負と不理解のギャップが、 かくも優れた多くの詩人たちを生んだとも言えるかもしれない。"(P109)

日本の歴史において、1000年という長い期間、文化の中心であった場所はないと思います。東京にしても江戸開府から400年です。渡来の倭人ではなく、原日本人が築いた文化となれば、心底に刻まれた無意識の自負があるということに納得がいきます。

私は街歩きが好きで、街歩き好きには東京が最高に楽しい場所です。どこを歩いても楽しいのが東京だと思います。最近、感じることなのですが、東京はとても楽しい場所なのですが、どこか浅いという感覚がありました(街歩きとして最高に楽しいことに変わりはありません)。

東北には蝦夷の名残りを残す場所などが多く点在しています。正確な歴史が解明されていない場所がほとんどだと思います。東北は計り知れないほど奥深いという感覚を持ち始めていました。

この本に出会い、確かでなかった感覚の一端が解けたように思えました。


工業化の極限において人類が行きづまりを迎えると、


"人類文化を地球的規模において反省することを余儀なくされるであろう。"(P221)

と今の現状を予言するかのような言葉がありました。


文化原理の提示が必要になる時代を迎えると、日本の文化原理を宿している東北が他の地域よりも有利であると述べています。

東北の復興に勇気を与える言葉があり、東北には立ち直るための大いなる自負があることを確信しました。