藤原章生著『資本主義の「終わりの始まり」』(新潮選書)を読みました(少し前に読んだ本です)。ギリシャの財政問題に端を発した欧州債務危機について知りたかったのと資本主義の次の社会について書かれているのだと思い、手にした本です。
『資本主義の「終わりの始まり」』(藤原章生) 


南欧で起きていることが世界の経済にも影響を及ぼすグローバル化した時代です。資本主義が招いた最も大きな問題は格差だと思っています。グローバルに動くお金(欲望)は一部だけに吸い上げられている印象を受けるからです。


著者は2008年~2012年の間、ローマ支局長を務めた毎日新聞の記者です。2012年1月に急逝したギリシャの映画監督、アンゲロプロスの言葉に触発されてギリシャやイタリアで取材を続けます。

「いまは未来が見えない。そして誰もが待合室でチェスをしながら、扉が開くのを待っている」、「この地中海圏が、扉を最初に押し開こうとするだろう。イタリアはもう始めている」、「経済取引が第一原則ではなく、人間同士の交わりこそがすべての基本となるような世界を、私たちは想像できるだろうか・・・・・」



ギリシャやイタリアの市民や政治活動家、歴史学者、経済学者、哲学者などを訪ねて、「扉」と資本主義の後の世界が何なのかを探究していきます。

特にイタリアの哲学者アガンベンのインタビューが印象的で「扉」に近づくヒントのように思えました。

"アガンペンの言葉を借りれば、資本主義とは永遠の経済成長と言う非合理な宿命を強迫のように背負わされた宗教だ。 " ―224ページ

この強迫により国は借金を続け、返済できなくなると一律の緊縮策を取らざるを得なくなります。地中海圏では既にこの状態に陥っており、最初に「扉」を開くのが地中海圏であることへの布石として捉えているようです。緊縮策に陥った中で、ゆっくりと人々の考えが変わり始めて行くと見ているようです。



最後に筆者が注目したのはイタリアの40代でした。大きな変革の時代に思春期や青年期を生きた世代で、経済と人間同士の関係をうまくバランスさせる術が身についているとしています。他の世代から見れば「異質」で無気力・無関心に見える世代ですが、資本主義の非合理さを悟っていると受け取っているようです。お互いに助け合って生きているとも言っています。

アンゲロプロスの「経済取引が第一原則ではなく、人間同士の交わりこそがすべての基本となるような世界を、私たちは想像できるだろうか・・・・」という言葉に近いのがイタリアの40代と言えるのだと思います。

イタリアの40代とは「逝きし世の面影」(渡辺京二著)に登場する江戸時代の人たちに少し通じるように思えました。実際は違うのですがイメージとして似ているように思えたのです。


次の時代を開く「扉」や資本主義後の世界についてはっきりした明確な答えは示されていません。読後にモヤモヤが残った感はありますが、ギリシャやイタリアで起きていることを知ることができました。また、成長至上主義である資本主義への疑問が少し晴れたように思えます。