フォト・ルポルタージュ『岡本太郎の東北』を読みました。
岡本太郎の東北


1950年代から1960年代に東北を訪れた岡本太郎が撮った写真とエッセイから構成された本です。初版は2002年です。

この本では「秋田」、「岩手」、「青森」が収録されています。『日本再発見-芸術風土記』所収「秋田」および「岩手」(1958年9月5日)、『神秘日本』所収「オシラの魂-東北文化論」(1964年9月30日)をもとに編集・再構成した岡本太郎のエッセイが、豊富な白黒写真の間に挿入されています。

岡本太郎は縄文土器(特に火焔式土器)に影響を受けたことは有名で、東北に縄文という日本の起源を見いだしていたようです。

”かつては辺地の蛮人としてさげすまれ、否定された。今日の日本の歴史、その伝統の中においても、エゾといえばまるで縁のない人種の如くである。だが、そうじゃないのだ。彼らこそ本来の日本人であり、また人間としての生命を最も純粋に、逞しくうち出しているわれわれの血統正しい祖先なのだ。アカデミックな中央の権力、その官僚性によって、不当に押しつぶされ、過去に埋れてしまった、この日本人の魂。それをえぐり出し、解き放ち、われわれの芸術にとって最も緊急であり、由々しき問題としてぶつけて行く。それは他ならぬ私自身の使命ではないか。” ―P63

 


「秋田」では”なまはげ”、「岩手」では馬の文化や鹿踊り、「青森」の恐山と、少ない時間でしっかりと目に焼き付け、確信を持って行くようです。



ページの半分以上を占める写真は、白黒でありながら岡本太郎が見た”そのもの”のように迫ってきます。きれいに撮ろうとか、上手く撮ろうとか、そう言った意志ではなく、自分の目に映ったものを切り取っていくかのように感じました。

特に「青森」では、オシラ様を抱く女性、恐山のイタコ、恐山に集まる年配の女性など、ほとんどの写真が人物を写しています。お婆さんという、生活の根を支えて耐えてきた生命力に深く共鳴しています。

監修の飯沢耕太郎氏が挿話の中で岡本太郎を「カメラを持ったシャーマン」と表現しています。撮影している岡本太郎が目に映るようです。



付録の年譜を見ると、1938年にパリ大学でマルセル・モースに民俗学を学ぶとあります。『贈与論』のマルセル・モースのもとで民族学や人類学、社会学を学んだのです。学術的な理解と芸術家としての直感のようなものを合わせて持っていたのだと思いました。

この本ではキーワードとして「シャーマン」や「逞しさ」という単語が繰り返し出てきました。原始的な呪術にみる芸術性や自然とのつながり、縄文人の「逞しさ」にみる日本人の魂を求めて旅に出ていたように感じました。