三陸鉄道南リアス線で盛駅から吉浜駅まで乗車しました。現在は吉浜駅から先は不通になっていますが、今年の4月に運行再開予定とのことです。吉浜駅では駅周辺を散策して来ました。gon01DSC01279



JR大船渡線の気仙沼駅と盛駅間はBRT(バス高速輸送システム)で運行されています。陸前高田市マスコットキャラクターの「たかだのゆめちゃん」号でした。

JR大船渡線BRT陸前高田市マスコットキャラクターの「たかだのゆめちゃん」号

盛駅で時間があったので、駅周辺を散策しました。

JRの盛駅と三陸鉄道の盛駅が並んでいます。
gon01DSC01275
三陸鉄道 盛駅




歩道橋から盛駅を眺めます。左側の舗装道路がJR大船渡線BRTです。右側が三陸鉄道、さらに右が岩手開発鉄道です。 盛駅

振り返ると三陸鉄道の車両基地があります。
三陸鉄道車両基地 

岩手開発鉄道の貨車が見えました。モノトーンで撮ってみました。
岩手開発鉄道の貨車
岩手開発鉄道の貨車
岩手開発鉄道は現在、石灰石輸送専門で太平洋セメントの工場に石灰を運ぶ役割をしています。


三陸鉄道のおなじみの塗装がされた車両、クウェートからの支援で新製された車両です。
三陸鉄道


三陸鉄道の盛駅ホームに向かいます。
盛駅


乗車したのは「キット、ずっと2号」です。 ネスレ日本が三陸鉄道の復旧を通じて東北復興を支援する「キット、ずっとプロジェクト」で、桜カラーにラッピングされた車両です。
キット、ずっと2号
『キット、ずっと2号』は、東日本大震災発生時、吉浜駅と釜石駅の間にある鍬台トンネルの中間地点で急停車したことにより、被災せず生き残った『奇跡の車両』だそうです。

キット、ずっと2号
キット、ずっと2号
キット、ずっと2号
キット、ずっと2号

甫嶺(ほれい)駅付近の車窓からの眺めです。甫嶺
越喜来湾です。
越喜来

リアス式海岸沿いを走る三陸鉄道はトンネルが多いのも特徴です。
トンネル



現在の終点となる吉浜駅に到着しました。

吉浜駅


駅舎内では東日本大震災の写真が展示されていました。無料の図書貸出があるようです。
吉浜駅

こちらは岩手大学教育学部学生らによる手袋アートです。
手袋アート

「キット、ずっとプロジェクト」の紹介が貼ってありました。
キット、ずっとプロジェクト

志村けんさんが駅長を務めた際の制服と写真です。
志村けん

吉浜駅も「キット、ずっとプロジェクト」による桜アートに彩られています。
吉浜駅

電話ボックスにも。
gon01DSC01417

女優の川上麻衣子さんがデザインした「サクラサク歩道橋」です。
歩道橋


ここからは、盛駅でもらってきた「吉浜駅お散歩マップ」を片手に周辺を散歩して来ました。
吉浜駅お散歩マップ
吉浜駅お散歩マップ


旧吉浜郵便局です。明治7年に開局したという歴史ある建造物です。当時としてはモダンな建物だったと思います。地元の自慢だったのではないでしょうか。昭和63年まで使われていたそうです。
旧吉浜郵便局
旧吉浜郵便局
旧吉浜郵便局


マップには載っていませんが、正寿院です。曹洞宗のお寺で、気仙大工による建造物です。
正寿院
正寿院
正寿院
正寿院
正寿院

正寿院




正寿院の門前には『嗚呼惨哉海嘯(ああ さんなるかな かいしょう)』碑が建っています。 明治29年の明治三陸大津波の後、明治30年4月に建立された慰霊碑です。明治三陸大津波の犠牲者の名前が刻まれています。
gon01DSC01355

吉浜の被害は海沿いの田んぼがほとんどで、「奇跡の集落」と呼ばれています。津波の直撃を受けながら、人的被害が行方不明1人にとどまったそうです。
吉浜湾

明治と昭和の2度の大津波を教訓にした先人の知恵と英断により、高台移転が進められたのです。明治29年の明治三陸地震の津波では住民1000人のうち2割が犠牲になりました。 初代村長が住民の高台移住を推進して低地は水田に変えたそうです。昭和8年の昭和三陸大津波では住民1400名のうち17名が犠牲になりました。このことから当時の村長が高台移転の更なる徹底を図ったのです。行政と住民が一丸となって高台移住を徹底してきた歴史があるようです。



少し進むと、新山神社という神社があります。階段下の鳥居は新しいように思えました。おそらく、今回の震災で被害受けて再建したのだと思います。後で紹介しますが、昭和三陸大津波で壊れた鳥居の残骸が石碑とともに残されています。
新山神社
新山神社
新山神社

神社から先に進むと、石川啄木歌碑があります。旧制盛岡中学三年の石川啄木が修学旅行で訪れたことから、80回忌の平成3年に建立された石碑です。
「潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」
石川啄木歌碑

石川啄木歌碑



啄木歌碑の隣には「昭和三陸大津波記念碑」と、先ほど紹介した新山神社の鳥居の残骸があります。津波の教訓を引き継ぐために平成20年に建立されています。この地域の津波に対する防災意識の高さを感じることができました。
昭和三陸大津波記念碑
昭和三陸大津波記念碑
昭和三陸大津波記念碑

目の前にはかつての中心部で、明治三陸大津波の被害を受けて水田に変わった低地が広がります。水田の災害復旧工事が行われていました。その先の海は非常に穏やかでした。
水田の災害復旧工事

水田の災害復旧工事

ここから、海岸沿いにある「津波記念石」を見に行こうと思いましたが、工事車両が行き来していましたので諦めました。明治三陸大津波で海岸から打ち上げられた大きな石ですが、昭和50年代に道路工事のために埋設されていました。今回の震災による津波で再び発見された石です。



ここでUターンして、吉浜駅の北側に行ってみました。跨線橋の上から線路を眺めると、レール上は行き止まりの標識が立っていました。釜石までの全線開通は今年の4月になる予定です。
gon01DSC01400




吉浜駅に戻ると臨時列車が停車していました。おなじみのカラーです。
三陸鉄道36‐700形
三陸鉄道36‐700形

出発するのを待ち、近くの道路から撮影しみました。
三陸鉄道36‐700形
gon01DSC01438


しばらくして、帰りに乗る「キット、ずっと2号」が入ってきました。
三陸鉄道南リアス線キット、ずっと2号
三陸鉄道南リアス線キット、ずっと2号
キット、ずっと2号
キット、ずっと2号
キット、ずっと2号

帰りは恋し浜駅で2分ほど停車しました。駅舎内にあるホタテの絵馬を写真におさめてきました。ほとんどが復興への願いです。
恋し浜

恋し浜




帰りのBRTは気仙沼市観光キャラクター「海の子 ホヤぼーや」号です。gon01DSC01474




全線開通していれば、なかなか立ち寄ることのなかった吉浜を見て回ることができました。吉浜が2度の大津波から地域を守る防災意識が培われたことを知ることができました。