小林達雄著『縄文の思考』
小林達雄著『縄文の思考』を読みました。


縄文人の研究は難しく、正解は誰にも分からないものだと思います。縄文時代の文献が残っている訳ではありませんから...。遺跡や土器などからの実証研究をはじめ、想像によって仮説を立て、縄文人を理解しようとする研究なのです。この分野は学問であり、文学であるようにも思えます。

本書での著者の説は、縄文人の精神文化や哲学、信仰について迫っており興味深い内容でした。


本書は15章で構成されています。

目次
第1章 日本列島最古の遺跡
第2章 縄文革命
第3章 ヤキモノ世界の中の縄文土器
第4章 煮炊き用土器の効果
第5章 定住生活
第6章 人間宣言
第7章 住居と居住空間
第8章 居住空間の聖性
第9章 炉辺の語りから神話へ
第10章 縄文人と動物
第11章 交易
第12章 交易の縄文流儀
第13章 記念物の造営
第14章 縄文人の右と左
第15章 縄文人、山を仰ぎ、山に登る


人類史は600万年(本書では)と言われ、第1段階の旧石器時代が大部分を占めています。第2段階の新石器時代は15,000年前に始まり、第2段階は農業革命を前提とするとの主張が占めていたようです。これだと、縄文文化が存在しないことになります。

日本列島における縄文文化は、大陸の農業を持つ新石器文化とともに第2段階に位置づけられるとしています。

縄文文化は2,900年前を境にして、弥生文化へと変遷していくのです。縄文文化として位置づけられる期間は、13,000年ほど続いたことになります。弥生文化と区切られた後も、縄文文化は生き続けていたと思います。

 

縄文土器や土偶、勾玉、環状列石、三内丸山遺跡の六本柱等から縄文人の思想哲学を読み取ろうとする著者のアプローチから、縄文考古学の面白さが伝わってきました。

土器の口縁にはさまざま突起を付け、容器としての機能性は良いとは言えません。三内丸山遺跡の六本柱を立てるまでの労力は計り知れないものがあります。


著者が「歴史的大事件」とする定住生活の始まりは、縄文人の精神文化を生んだきっかけとなっています。

居住空間としてのイエ、竪穴式住居が生まれていきます。このイエにも驚きの事実がありました。炉は暖房や調理のためではなかったと言うのです。炉の火は絶えず燃やし続けられていました。

イエの奥壁には、石で囲った特殊な区画(祭壇)が設けられている竪穴住居もあります。炉と区画(祭壇)、更には入口近くの床面には埋甕(うめがめ)を埋めるという、生活には必要がないモノがイエにはありました。

住居でありながら、縄文人には聖なる場所でもあったイエには縄文人の心に必要な何かがあったのか、心を保つ為の何かがあったのかもしれません。


定住生活を始めてムラができ、その生活圏としてハラがありました。ハラの自然に対する過剰な干渉はせず、共存共生共栄を保っていたのです。一方、農耕は自然に干渉しなければ、安定した収穫は得られません。収穫(言い換えれば、利)を得るためには、効率的で合理性を追及した大農が必要になって行きます。

”ムラの外に、もう一つの人工的空間としての農地すなわちノラを設けて、さらに拡大して止むことはない。そこからしばしば自然を征服する、克服するという意識と態度を鮮明にするのだ。自然を利用する効率が問題となり、投入した時間と労働力の見返りの最大効果を目論むにいたる。やがて産業革命を経て、ヨーロッパ流の近代合理主義発達の契機へと膨張し続け、現代の深刻な危機を演出する元凶ともなった。”-73ページ

”縄文人が一万年以上こうした自然との関係を維持継承するなかから、縄文世界観が醸成され、次第に日本人的心の形成の基盤となったのである。” -74ページ


縄文人が保った自然との共存共生共栄の精神が日本人に残っているとすれば、現代の行き過ぎた(或は偏った)合理主義に対する警笛を鳴らせるのは日本人なのかもしれません。