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タグ「本郷」の一覧

東京前編(上野・浅草・銀座)に続き、後編では文京区(湯島、本郷、小石川)を巡ります。地図は最後に紹介します。
今年は石川啄木が26歳の若さで亡くなってから100年となります。石川啄木没後百年記念事業が各地で開催されるようです。特に出身地である岩手県盛岡市では実行委員会を立ち上げ、各種記念事業が計画されています。 
 旧蓋平館

 

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東京前編(上野・浅草・銀座)に続き、後編では文京区(湯島、本郷、小石川)を巡ります。地図は最後に紹介します。
今年は石川啄木が26歳の若さで亡くなってから100年となります。石川啄木没後百年記念事業が各地で開催されるようです。特に出身地である岩手県盛岡市では実行委員会を立ち上げ、各種記念事業が計画されています。 
 旧蓋平館

 

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前編(上野・湯島)の続き、後編では本郷の散歩を紹介します。

上野から湯島を経由して本郷を散策しました。本郷は夏目漱石や樋口一葉をはじめ、明治や大正の文豪たちが居を構えた場所です。菊坂近辺には岩手県出身の石川啄木や宮沢賢治の居住跡もあります。

東京大学 安田講堂

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前編(上野・湯島)の続き、後編では本郷の散歩を紹介します。

上野から湯島を経由して本郷を散策しました。本郷は夏目漱石や樋口一葉をはじめ、明治や大正の文豪たちが居を構えた場所です。菊坂近辺には岩手県出身の石川啄木や宮沢賢治の居住跡もあります。

東京大学 安田講堂

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上野から湯島を経由して本郷を散策しました。本郷は夏目漱石や樋口一葉をはじめ、明治の文豪たちが居を構えた場所です。菊坂近辺には岩手県出身の石川啄木や宮沢賢治の居住跡もあります。

アメ横

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上野から湯島を経由して本郷を散策しました。本郷は夏目漱石や樋口一葉をはじめ、明治の文豪たちが居を構えた場所です。菊坂近辺には岩手県出身の石川啄木や宮沢賢治の居住跡もあります。

アメ横

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「本郷も かねやすまでは 江戸の内」、本郷三丁目の交差点にある洋品店「かねやす」さんには川柳の看板が掛かっています。これは江戸時代の川柳だそうです。ブラタモリによると、 この辺りを境に華やいだ風景が郊外の風景に変わったそうです。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」

「かねやす」文京区教育委員会の説明書き

兼康祐悦という口中医師(歯科医)が、乳香散という歯磨粉を売り出した。大変評判になり、客が多数集まり祭のように賑わった。(御府内備考による)
享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じて瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷まで瓦葺が続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺の家が続いた。
その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。
『本郷も かねやす までは江戸のうち』と古川柳にも歌われた由縁であろう。
芝神明前の兼康との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行った。それ以来本郷は仮名で「かねやす」と書くようになった。



本郷通りの三丁目交差点から東大の赤門の方面へ向かう中山道には、僅かな勾配の凹凸があります。 ここには「別れの橋跡 見送り坂と見返り坂」の設置看板があります。

「別れの橋跡 見送り坂と見返り坂」文京区教育委員会の説明書き

「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を堀出せり、是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432~86)の頃在任など此所よりおひはなせしかは、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。
この前方の本郷通りはややへんこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた、『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。
江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。
今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。



この先には東京大学の赤門があります。赤門付近には江戸時代に加賀金沢前田家の上屋敷があった場所です。
文政10年(1827年)に加賀13代藩主前田斉泰に嫁入りした11代将軍徳川家斉の息女溶姫(やすひめ)のために建てられた御守殿門です。将軍家から嫁入りがあった時には朱入りにする習わしがあったそうです。

この婚礼には『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)』に登場する加賀藩御算用者である猪山家が婚礼準備係として赤門の創設にも深く関わっています。
武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

本郷三丁目付近だけでも面白い場所です。

「本郷も かねやすまでは 江戸の内」、本郷三丁目の交差点にある洋品店「かねやす」さんには川柳の看板が掛かっています。これは江戸時代の川柳だそうです。ブラタモリによると、 この辺りを境に華やいだ風景が郊外の風景に変わったそうです。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」

「かねやす」文京区教育委員会の説明書き

兼康祐悦という口中医師(歯科医)が、乳香散という歯磨粉を売り出した。大変評判になり、客が多数集まり祭のように賑わった。(御府内備考による)
享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じて瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷まで瓦葺が続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺の家が続いた。
その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。
『本郷も かねやす までは江戸のうち』と古川柳にも歌われた由縁であろう。
芝神明前の兼康との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行った。それ以来本郷は仮名で「かねやす」と書くようになった。



本郷通りの三丁目交差点から東大の赤門の方面へ向かう中山道には、僅かな勾配の凹凸があります。 ここには「別れの橋跡 見送り坂と見返り坂」の設置看板があります。

「別れの橋跡 見送り坂と見返り坂」文京区教育委員会の説明書き

「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を堀出せり、是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432~86)の頃在任など此所よりおひはなせしかは、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。
この前方の本郷通りはややへんこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた、『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。
江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。
今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。



この先には東京大学の赤門があります。赤門付近には江戸時代に加賀金沢前田家の上屋敷があった場所です。
文政10年(1827年)に加賀13代藩主前田斉泰に嫁入りした11代将軍徳川家斉の息女溶姫(やすひめ)のために建てられた御守殿門です。将軍家から嫁入りがあった時には朱入りにする習わしがあったそうです。

この婚礼には『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)』に登場する加賀藩御算用者である猪山家が婚礼準備係として赤門の創設にも深く関わっています。
武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

本郷三丁目付近だけでも面白い場所です。

文京区湯島にある学問の神様「湯島天神(湯島天満宮)」の梅まつりライトアップに行って来ました。 雪の降る中で余り人がいませんでしたので、ゆっくり梅を眺めることが出来ました。まだ咲いていない木も多かったです。

・梅まつり期間:2011年2月8日から3月8日まで

梅まつり
梅祭り
(暗い中でiPhone3GSの写真は最悪です...)

春日通り側の鳥居です。江戸時代はこちらは裏側だったようです。
湯島天満宮

男坂(暗くて見えませんが・・・)、江戸時代はこちらがメインの入口で参道が栄えていたと聞いたことがあります。
男坂


趣のある総檜造りの本殿です。
湯島天神 本殿

【湯島天神の縁起】湯島天神ホームページより

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

例祭日 五月二十五日

社 名 湯島天満宮 名称

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

帰りにお茶の水方面に向かっていると、急勾配の坂を発見しました。昇り降りしてみましたが、かなりの勾配です。「実盛坂」だそうです。
実盛坂
(これもまた、暗い写真です...)

この坂にあった看板によると、

「江戸志」によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とあるそうです。また、この下の南側に、「実盛塚」や「首洗いの井戸」がこの坂の下にあったという伝説めいた話が「江戸妙子」などにあり、坂の名前になったそうです。
斎藤別当実盛は加賀で戦死しており、実盛を忍び、この様な伝説が生まれたのではないかと書かれていました。



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文京区湯島にある学問の神様「湯島天神(湯島天満宮)」の梅まつりライトアップに行って来ました。 雪の降る中で余り人がいませんでしたので、ゆっくり梅を眺めることが出来ました。まだ咲いていない木も多かったです。

・梅まつり期間:2011年2月8日から3月8日まで

梅まつり
梅祭り
(暗い中でiPhone3GSの写真は最悪です...)

春日通り側の鳥居です。江戸時代はこちらは裏側だったようです。
湯島天満宮

男坂(暗くて見えませんが・・・)、江戸時代はこちらがメインの入口で参道が栄えていたと聞いたことがあります。
男坂


趣のある総檜造りの本殿です。
湯島天神 本殿

【湯島天神の縁起】湯島天神ホームページより

御祭神
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

例祭日 五月二十五日

社 名 湯島天満宮 名称

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

帰りにお茶の水方面に向かっていると、急勾配の坂を発見しました。昇り降りしてみましたが、かなりの勾配です。「実盛坂」だそうです。
実盛坂
(これもまた、暗い写真です...)

この坂にあった看板によると、

「江戸志」によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とあるそうです。また、この下の南側に、「実盛塚」や「首洗いの井戸」がこの坂の下にあったという伝説めいた話が「江戸妙子」などにあり、坂の名前になったそうです。
斎藤別当実盛は加賀で戦死しており、実盛を忍び、この様な伝説が生まれたのではないかと書かれていました。



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文京区本郷の『FIRE HOUSE(ファイヤーハウス)』で「モッツァレラマッシュルームバーガー」を食べました。東京大学や菊坂に近い春日通り沿いにあります。最寄りの駅は地下鉄丸ノ内線又は大江戸線の本郷三丁目駅です。

春日通りを文京区役所方面に歩いていると、突然、カントリー風外観の『FIRE HOUSE(ファイヤーハウス)』が目に入ります。周りの街並みからすると、かなり目立つ外観です。店内もカントリーです。

「アボガドバーガー」にするか悩みましたが、「モッツァレラマッシュルームバーガー」を注文しました。長い名前なので噛まずに伝えられるか緊張しながら注文しました...。1313円ですから、かなり贅沢をした気分です。普通のハンバーガーも998円です。

ハンバーガーにはフレンチフライとピクルスが付いてきます。ハンバーガーの大きさに驚き、「どうやって食べたらいいの??」と悩んでしまいました。途中で気付いたのですが、ハンバーガーの下に敷いてあった紙でハンバーガーを包んで食べられるようになっていました。
gon110211-6 (3)


バンズは天然酵母パンだそうで、ふかふかで甘みのある美味しバンズでした。特に表面の皮の部分が良かったです。

パテはオーストラリア産ビーフで、ジューシーさは余り無いようですがビーフの味が生かされたハンバーガーらしいパテでした。

メイン具材は、とろりとしたモッツァレラチーズがソテーしたマッシュルームを包みこんでいます。その下にはドレッシングで混ぜたみじん切りの玉ねぎがトマトとレタスに乗っていて、全体のバランスを取っているようでした。この玉ねぎが美味しかったです。
gon110211-6 (4)

美味しいハンバーガーを食べたかった希望が叶い、幸せな時間を過ごしました。

gon110211-6 (2)

関連ランキング:ハンバーガー | 本郷三丁目駅春日駅水道橋駅


文京区本郷の『FIRE HOUSE(ファイヤーハウス)』で「モッツァレラマッシュルームバーガー」を食べました。東京大学や菊坂に近い春日通り沿いにあります。最寄りの駅は地下鉄丸ノ内線又は大江戸線の本郷三丁目駅です。

春日通りを文京区役所方面に歩いていると、突然、カントリー風外観の『FIRE HOUSE(ファイヤーハウス)』が目に入ります。周りの街並みからすると、かなり目立つ外観です。店内もカントリーです。

「アボガドバーガー」にするか悩みましたが、「モッツァレラマッシュルームバーガー」を注文しました。長い名前なので噛まずに伝えられるか緊張しながら注文しました...。1313円ですから、かなり贅沢をした気分です。普通のハンバーガーも998円です。

ハンバーガーにはフレンチフライとピクルスが付いてきます。ハンバーガーの大きさに驚き、「どうやって食べたらいいの??」と悩んでしまいました。途中で気付いたのですが、ハンバーガーの下に敷いてあった紙でハンバーガーを包んで食べられるようになっていました。
gon110211-6 (3)


バンズは天然酵母パンだそうで、ふかふかで甘みのある美味しバンズでした。特に表面の皮の部分が良かったです。

パテはオーストラリア産ビーフで、ジューシーさは余り無いようですがビーフの味が生かされたハンバーガーらしいパテでした。

メイン具材は、とろりとしたモッツァレラチーズがソテーしたマッシュルームを包みこんでいます。その下にはドレッシングで混ぜたみじん切りの玉ねぎがトマトとレタスに乗っていて、全体のバランスを取っているようでした。この玉ねぎが美味しかったです。
gon110211-6 (4)

美味しいハンバーガーを食べたかった希望が叶い、幸せな時間を過ごしました。

gon110211-6 (2)

関連ランキング:ハンバーガー | 本郷三丁目駅春日駅水道橋駅


2月11日、「日本サッカーミュージアム」に行って来ました。あの激闘の記憶が新しいアジアカップの特別公開(2/11,12,13)の初日で混雑していました。

特別公開はアジアカップの本物を実際に手に取って写真を撮れるというものです。しかし、3時間待ち!ということで、そのイベントは諦めることにしました...。(;_;)

日本サッカーミュージアム

日本サッカーミュージアム 玄関


こちらはアジアカップのレプリカです。レプリカは触れない状態です。
アジアカップレプリカ


有料ゾーンの入場チケットは2002年日韓ワールドカップのチケットをモチーフにしています。
チケットレプリカ


有料ゾーンでは日本のサッカー史やワールドカップの貴重な資料を見ることが出来ます。

gon110211-1 (5) 東京オリンピック ユニフォーム
メキシコオリンピック ユニフォーム ワールドカップ レプリカ



複数の選手の足型が床にあります。カズの足型と記念撮影です。
三浦知良 足型



サッカー通り
日本サッカーミュージアム(JFA)の前は『サッカー通り』となっていました。


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2月11日、「日本サッカーミュージアム」に行って来ました。あの激闘の記憶が新しいアジアカップの特別公開(2/11,12,13)の初日で混雑していました。

特別公開はアジアカップの本物を実際に手に取って写真を撮れるというものです。しかし、3時間待ち!ということで、そのイベントは諦めることにしました...。(;_;)

日本サッカーミュージアム

日本サッカーミュージアム 玄関


こちらはアジアカップのレプリカです。レプリカは触れない状態です。
アジアカップレプリカ


有料ゾーンの入場チケットは2002年日韓ワールドカップのチケットをモチーフにしています。
チケットレプリカ


有料ゾーンでは日本のサッカー史やワールドカップの貴重な資料を見ることが出来ます。

gon110211-1 (5) 東京オリンピック ユニフォーム
メキシコオリンピック ユニフォーム ワールドカップ レプリカ



複数の選手の足型が床にあります。カズの足型と記念撮影です。
三浦知良 足型



サッカー通り
日本サッカーミュージアム(JFA)の前は『サッカー通り』となっていました。


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